海外では馴染みの多いことかもしれない。
友達同士だったり、新聞などに一緒に住む人を募集したりして、
みんなで家賃や光熱費を負担して、暮らしていく。
なかなか一人では住めない一軒家や高級マンションなどでも
それなら暮らせるっというものあるかもしれない。
私も、シェアハウスに入ったことがある。
カナダに留学していた時、
ホームステイから出て、自分の部屋を探したのだ。
なかなか思うような部屋には出会えなかったけど、
新聞にはたくさんの広告が載っている。
ときには、電柱柱などにも貼ってあることがあった。
「家賃・部屋の間取り・シェアメイトの人数・家具付きなど」
気になったところに片っ端から電話をかけ、
部屋を見せてもらう約束をする。
実際見てみると、豪邸に10人くらいで暮らしていたり、
タワーマンションの一室だったり、カナダの家には必ずある地下室だったり、
家賃が安すぎると、スラム街に迷い込んでしまうこともあった。
ぞっとするような部屋もあれば、素敵な部屋もあった。
私は全部で18件の家を回って歩いた。
最終的に決めたのは、郊外の住宅街にある一軒家の地下の一室だ。
オーナーがとても親切な人で
「あなたが良いわ」っと言ってくれたのも、決め手のひとつかもしれない。
私の家にはオーナー家族が一階。
地下室を私以外に2人の男性とシェアしていた。
住み心地はとてもよく、家具や必要なものは全部貸してもらえて、
料理もできるし、テレビも見れて、個室もある。
ただ生活習慣の違う人たちと一緒に暮らすのは、
少し難しい部分もあった。
まずシャワーの時間。
彼らは朝使う。
だからちょっとでも遅れると1時間くらい使えなかったりする。
朝はただでさえ慌ただしいから、毎朝ちょっとしたドキドキがあった。
あとはそうじ当番。
みんなそうじは好きじゃないみたいで、なかなかやってくれなかった。
見かねたオーナーがやってくれることもあったけど、
結局は私が、毎週末そうじをしていた。
気になることも多々あったけど、何よりおもしろかった。
他人である者同士が、ひとつ屋根の下に暮らすのだ。
共通点は「この家」。
そこに集まってきた集団である。
出身国が違ったり、田舎から出てきた人、移民してきた人など。
不思議な縁があったとしか思えない出来事だ。
一人暮らしも良いけれど、ひとりじゃ寂しいときもある。
誰かと話したいときもある。
現代社会は「貧困」と呼ばれる低所得世代が増えている。
まさにそんなときに打ってつけの助け合いになるのが、
「シェアハウス」ではないだろうか。
ひとりで大きな家に住んでも、お金がかかってしまう。
だけど人数がいれば、少ない給与からでもみんなで分割すれば払える。
そして孤独からも解消される。
ちょっとした勇気から、新しい可能性が生まれる。
人はひとりでは生きていけないから、
支えが必要なときだからこそ、良いチャンスかもしれない。
「シェアハウス」には
そんな見えない希望がたくさん詰まっているのでは、ないだろうか。